ときめきには、種類がある、と最近気づいた。
夫を見るときのそれと、彼を思うときのそれは、質がまるで違う。どちらも本物で、どちらも私のものだ。でも成分が違う。長年一緒にいる人への愛着が持つ安定した光と、新しい人への興味が持つ不安定な輝き。両方が今の私の中にある。
今日は夫と二人で映画を観た。何でもない平日の夜。途中でソファの上で彼が眠ってしまって、私は一人でエンドロールを見ていた。
そのとき、ふと彼(恋人)のことを思い出した。先週会ったときの声のトーン。少し笑いながら話す癖。それを思い浮かべながら、隣で眠る夫の手を見ていた。不思議な幸福感があった。
ときめきの解剖
クンダリーニを実践するようになって、感情への観察眼が鋭くなった。「ときめき」という感覚を、私は今かなり細かく分解して感じることができる。
恋人への気持ちが生まれるとき、まず下腹部から始まる。スヴァディスターナチャクラ——仙骨のあたりにある、感情と快楽に関わるエネルギーセンターが動く感じ。それが胸に上がってくるとき、心拍が変わる。これがときめきの正体の一部だと思う。
夫への感情は違う場所から始まる。胸の中心——アナハタから動く。安心感と繋がりの感覚が先にあって、そこからじわりと温かくなる。
彼に会った次の日
彼と会った翌日は、不思議とクンダリーニ瞑想がよく入る。身体がどこか開いていて、エネルギーの流れを感じやすくなっている。
夫はそれを知っていて、「昨日よかったんだね」とときどき言う。私が瞑想から戻ってきたときの顔を見るとわかるらしい。それが少し恥ずかしくて、でも少し嬉しい。
ふたつの愛を生きる、というのは私が選んだ言葉だが、実際のところ「生きている」という実感がある。薄く広く存在しているのではなく、複数の深さで同時に存在している感じ。クンダリーニが教えてくれたのは、エネルギーは広がれば広がるほど豊かになる、ということだった。愛もそうなのかもしれない。この関係がいかにして始まったかは、夫公認のはじめてのチャレンジに書いている。
まだ確信はない。この形が正解なのかどうかも、わからない。ただ今は、間違っているとも思えない。