「密会」という言葉が似合わなくなってきた、と最近思う。
夫には全部話している。彼の名前も、会う場所も、帰ってくる時間も。隠しているものは何もない。それでも、彼と過ごす午後を表す言葉として、「密会」以外に適切なものが見当たらない。秘密ではないのに、密なのだ。
平日の昼間に会えるのは、彼が自由業だからだ。私も在宅勤務の日を使って、月に一、二度だけ時間を作る。
彼のマンションに着くと、コーヒーが用意されていた。二人でソファに並んで、他愛ない話をする時間が私は好きだ。最近読んだ本の話、近所で起きた小さな出来事、特に意味のない近況。その普通さが、かえって非日常に感じる。
感覚が変わる瞬間
コーヒーカップを置いて、距離が縮まる瞬間がある。言葉が途切れ、空気の質が変わる。そのとき私は、意識的に呼吸を整える。
クンダリーニの実践を始めてから、こういう場面での身体の反応が変わった。以前は高揚感とともに思考も飛んでいたが、今は感覚だけが鮮明になって、思考はどこか遠くで静かになる。興奮と静けさが同時に存在する、不思議な状態。
彼が私の髪に触れる。その手の温度を、私は毎回正確に覚えている。人の手のぬくもりというのは、こんなにも固有なものなのかと思う。夫の手と彼の手は、まったく違う感触をしている。どちらも私にとって意味のある温度だ。
帰る前に
夕方になる少し前、私はいつも窓の外を見る。街が夕暮れの色に変わり始める時間。彼は隣で目を閉じていて、部屋の中だけ時間が止まっているみたいだった。
「また来れる?」と彼が聞く。「来られると思う」と私は答える。確約ではない。でもそれでいいと、互いにわかっている。
外に出ると、街の音が戻ってくる。私はしばらくの間、胸の中心に手を当てたくなる感覚を持ったまま歩いた。アナハタチャクラ——心臓の近くにあるエネルギーセンター——が、やわらかく開いているのを感じた。
誰にも言えない午後、という表現は正確ではないかもしれない。夫には話す。でも言葉にならない感覚の部分は、私だけのものとして残る。それが「密会」という言葉を手放せない理由なのかもしれない。
この関係が夫との会話からどのように始まったかは、夫公認のはじめてのチャレンジに記している。