夫が「行ってくる」と言い残してゴルフに出かけた後、私はしばらくソファに座ったまま動けなかった。
今日は彼と会う日だ。わかってはいる。夫もわかっている。それでも毎回、この最初の一時間をどう使えばいいのかわからなくなる。
シャワーを浴びた。いつもより少しだけ丁寧に。石鹸の泡が肌を伝う感触がやけに鮮明で、身体全体の感度が上がっているのがわかる。クンダリーニの実践を続けてから、こういう日の感覚の鋭さが変わった。性エネルギーが底で揺れている。それを感じながら、私はただ立っていた。
待ち合わせは駅近くのホテルのロビーだった。彼はすでに来ていて、私を見つけると口元だけで笑った。何も言わなかった。それでいい。私たちの間には、言葉より先に動く何かがある。
エレベーターの中で、彼が私の手首を軽く触れた。ただそれだけで、背骨の根元から何かが動き始めるのがわかった。仙骨のあたりが、じわりと温まる感覚。瞑想中に感じるそれと、まったく同じ質のものだった。
部屋の中で
カーテンを半分だけ閉めた部屋に、午後の光が斜めに差し込んでいた。彼が私の名前を呼ぶ声は、いつも少し低くなる。その声の質感だけで、私の身体はもう半分溶けている。
抱き合うとき、私はいつも目を閉じる。瞑想で覚えたように、息を意識する。吸う、止める、ゆっくりと吐く。エネルギーが上昇しようとするのを、今日は途中で止めずにただ感じた。
ふと、夫の顔が浮かんだ。罪悪感ではない。なぜかわからないが、愛情だった。彼と過ごしながら、夫のことを愛していると感じた。この複雑な回路が、最初は自分でも理解できなかった。でも今は、そういうものだと思っている。エネルギーは拡張するもので、閉じ込めるものではない。この関係がどのように始まったかは、別の日記に記している。
帰り道
駅に向かう道、夕暮れが始まっていた。身体の中心が、温かく静かだった。疲れでも高揚でもない、満ちているとしか言いようのない感覚。
夫は夜、「どうだった?」と聞いてくれる。私は正直に話す。良かった、と。夫は少し間を置いて、「よかった」と言う。私たちにとって、この会話が儀式みたいなものになっている。
今夜は早めに瞑想しようと思いながら、電車に乗った。今日動いたエネルギーを、ちゃんと上まで昇らせてあげたい。身体がそれを求めているのを感じる。